朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」

茂さんに、というよりも、徳一さんに贈る言葉


お父ちゃんが死んだ後に、大きな町子の世界が登場して、
ずいぶん救われた気がした。
視聴者も、そしてあんな風に亡くなってしまったお父ちゃんも。

お父ちゃんが亡くなったときに、町子達が流したはずの涙を映さず、
お父ちゃんを直接知らないはずの健次郎さん達の涙を映す。
おじいちゃん、おばあちゃん、そしてお父ちゃんの生きた
「花岡写真館」は、確かに戦争で壊れて消えてしまったけれども、
それでも今に続いている、残っているものはあるんだよ、と
感じさせる構成の妙でございました。

町子の日常はまだまだ続きますが、取り急ぎ、改めて。
お父ちゃん、お疲れさまでした。

余談ですが、一週間ほど前にASAHI新聞の投書欄で
「関西が舞台だから一律に『お父ちゃん・お母ちゃん』ってどうよ、
 私の回りでは誰も使わないわ(苦笑い、もしくは呆れ)」
といった内容の、40代女性からの投書があったのに対し、
「いやいや、言葉的には『お父ちゃん・お母ちゃん』の方が
 古くて正しい関西弁だって事しらないのかYO!
 私自身は「お父さん、お母さん」で育った口だけど、
 市内育ちのおかんは元より、6つ年上の従兄弟及び4つ年下の従姉妹
 までもが、いまだ『お父ちゃん・お母ちゃん』と呼んでるってば。 
 あなたの狭い世界で判断するのはどうかと思うYO、HEY-HO!」
といった内容の投書で応戦してやろうかと思ったのですが、
大人げない上に投書する程の内容じゃないから止めました。
ので、ここで書いて憂さ晴らし(笑)。

何が言いたいかと言うと、「芋たこなんきん」で使われている関西弁は、
近年希にみる、綺麗な方の上方言葉だという事で。
今、あの言葉を聞こうと思ったら、お商売されてる方か、
もしくは落語家さんの登場人物の中の人ぐらいじゃなかろうか。
おかあちゃんみたいな話し方が出来る人になりたいわ、と
泣きながら頭の隅っこで思った次第。気持ち悪い?



…書いている内に、昨晩のカニがだいぶ抜けてきました(笑)。