映画「黄色い涙」

黄色い涙 ~より道のススメ~ 黄色い涙 ~より道のススメ~
永島慎二、 他 (2007/04/04)
ジェネオン エンタテインメント

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貴重な連休の一日を使って、勢いで「黄色い涙」を見てきました。余談ですが、私「しゃべれどもしゃべれども」の内容をかなり誤解していたらしく、予告編で不意打ちを食らってしまって、泣きそうになりました。わし、あの手の「師匠の噺が好きだから落語家になったんです!」(台詞うろ覚え)系ムードにとことん弱いっす。太一さんの必死さもよかった。かりなちゃんが話す「……みんな、なんとかしたいと思って来てるんだよ」とか。太一さんが橋を全速力で駆け抜けるところに被っていた言葉がかなり直球ど真ん中でツボ。絶対見に行こう。松重さんが出てるのもツボ。大好きだと思うこの映画。前売り買わなきゃだわ。予告見ただけでどこまで語ってんだ。

   
  で、「黄色い涙」。昭和40年代のどーしようもうない若者達の、どーしようもない、他人から見るとどこまでも無為な、一夏の物語。この映画、「アイドルっこ嵐」を見に行った方には、結構不評なのではないかと思われます。隣りに座っていたお嬢ちゃん(推定年齢11歳)はかなりヒマそうでした。そりゃそうだ。君にはまだわからない、絶対わかりっこない。断言する。だって君の未来はまだまだキラキラと希望と夢で輝いている(はずだ)もの。画面の中の嵐は坊主だわ地味だわでてこねーわ(松様)半ケツだわ(関係ない)だし。
だから逆に言うと、この映画を理解し、楽しむ為には、少なからず「二度とない季節」を過ごした事のある一定年齢より上の方じゃないと難しいのではないかと思います。そして、ある一定の年齢を過ごしてきた私には、切なくて痛くて、けどとてもとても愛おしいお話でした。切ない。本当に切ない。ラストシーン近くなんて、泣き笑いだった。あれは思わず吹き出しちゃうけど、かなり残酷な終幕。けど、夢の終わりなんてそんなものかもしれない。残酷な瞬間が訪れたからこそ判る、あの一夏の輝き。違うな、残酷な終わりが来た瞬間から輝くんだな、あの時間が。もう全てのものが、それこそ時間丸ごとがキラキラと。今を生きる自分から見つめると、青くて幼稚でバカで物知らずで、もう恥ずかしいし自分に腹立つし、その時代を知る全ての人の記憶にフタをして回りたくて仕方がないくらいの気持ちになるんだけど、それでも楽しかったよね良かったよねと、目を細めて呟いてしまうキラキラさと、そのキラキラがよりいっそう引き立つ(笑)、潔い「青春の終わり」の残酷さがどーんと描かれてしまってます。そーゆー意味では、中高生や自分探しを始めて数十年、みたいな20〜30代の皆様もご覧になってよいかと思われます。そうです、才能は無限でもなければ誰にでもあるもんじゃないのです。返して言えば、才能がなくても生きていけるし、また生きなくてはダメなのです。今は、みんながみんな「特別な才能の持ち主だ」なんて謳ってるけど、それは理想であって現実じゃない。自分には才能はなかった、と気づいた瞬間からその先を生きる事が、一番大切な事なんじゃないかと思うんです。この映画のように。

犬童監督は、「二度と戻らない時間」を描くことが好きなのかな。好き、というか上手なんだろーなー(あとラブシーンがねちこい・笑)。今まで見た犬童監督の映画は、どれもこれもすっぱり「終わってしまった」。スクリーンの中でやがて訪れる終着地点は、かなりわかりやすい。わかりやすい故に痛い。家族の終わり、恋の終わり、素晴らしい時間の終わり。今回の終わりはかなり明確な「青春の終わり」。替えて言えば、才能の終わり。「続ける事も才能のひとつ」「夢を見続ける事も才能」と言われます。今回の登場人物は、誰も夢を見続ける事が出来なかった。ひとつの季節が過ぎると同時に、自分の才能にきちんと見切りをつけます。酒飲んで夢を語って理想を語って熱く語って好きな事に自由に打ち込んで。。。という風景と同時に、決断までのポイントが重なります。もうそのポイントが痛い。いちいち痛い。特に痛かったのが、翔ちゃん演じる小説家志望の「タイトルだけ立派な白紙の原稿用紙」…叫び出しそうになった。モノカキを一度でも、小学生の時にでも夢見たことがある人には、この痛さは痛烈だと思うよ。本当にね、まず「一作終わらせてから語れ」っちゅーのね。まさしく「続ける事もひとつの才能」であると。痛いよー。

みんな薄々判ってんだよ、このままじゃダメだって事。自分には才能がないのかもしれないって事。自分の夢は叶わないかもしれないって事。けど、夢見てる方が楽しいから、夢は見ていたいから、夢を信じたいから、現実は薄目でながめて、金ないけど働かないとか言い切ったりして、金ないのにアーティストは宵越しの金は持たねえ!てな信条で大金一気に使ったりして、騒いで楽しく笑ってる。薄目の先にある現実を見たくないから。

けど、来る。絶対終わりはやってくる。それも突然に。
それでも、夢見る時間は終わっても、人生は続く。

最後の余韻は、優しいです。夢を終わらせた後も、個々がそれぞれに地味ながらも生活を送っている事がわかるので。 そうなんだよね、夢終わっても人生は終わらんのよね。そこが残酷でいて、優しい。この映画も、人生も。漫画家さんだけは微妙に夢の方向性が違うので判断が難しいところですが、大成するかもしれなかった話を断った時点で、一旦自分の夢に見切りをつけたんだなと納得しております。「成功した漫画家になる」という夢を諦めたと。あの時代は後の手塚治虫もみーんな、悩んだ時代なんだよね。夢と冒険の少年漫画から、エロと暴力の劇画漫画に流れが変わった時代。みんなあんな風に苦悩して、つぶれた少年漫画家も多かったと聞きます(手塚治虫はその後「ブラックジャック」で生還した組)。けれど彼は、売れ筋じゃないけど、自分の漫画を書き続けている。生活はあのまんま、風呂トイレ無しの六畳間で。2年経って生活があのまんま、っていうのが世知辛い話ですが、これもこの映画の優しいポイントですね。そして人生の。夢が終わった後も、夢見る事は出来るという。

この映画、共感出来る人は限られるし、全然親切なお話しじゃないし、痛いし、中だるみはしてるし、嵐はくさそーだし(笑)で、ダメポイントも羅列しようと思えば出来るんです。特に小説家志望を演じる翔ちゃんの関西弁は、尋常じゃなくヤバい。もしかしてこの映画、最初は関西圏での公開は予定されてなかったんちゃうんか、というレベルでヤバイ。ようこんなのネイティブ関西人集う関西のど真ん中の映画館で公開しようと考えたなと思うレベルでヤバイ(ちなみになんばで見ました)。彼が口を開くたびにダメだしの連続。全シーンの中の5分ほどしか出てこない岩手弁に監修つけるぐらいなら、あの翔ちゃんの関西弁に監修つけたれよ……と逆に気の毒に。ネイティブが書いてネイティブが演じ、ネイティブが演じた「芋たこなんきん」ですら、大阪弁の監修はついてらした気がする。大阪のシーンで京都弁が混じってるよね、という些細な突っ込みじゃなくってね、なんつかね、見てるこっちが映画としてこれは大丈夫なのか?と思っちゃうぐらいなんだから。普通にあの役、カッコつけ系な東京弁でよかったんじゃないの?原作が関西弁なの?それとも「自意識過剰の発露」の故の関西弁だったりして、実はヤツは出身地:神奈川県だったりするの?誰も撮ってる最中つっこまなかったの?犬童監督、比較的関西弁に慣れてると思うのだけど、途中で気づかなかったの?なにより翔ちゃん自身が不思議に思わなかったの?……等、「翔ちゃんの関西弁について思うところ」を書き出すだけでこれだけのダメポイントが上がるのですが(笑)、それでもそのダメポイントを乗り越えて、私はこの映画がとても好きです。ストーリーも、役者さんも。

主演張ってるニノが最高です。あの顔この顔、全て素晴らしい。みんなより少しだけオトナな立場で、みんなより少しだけ高い位置から、少しだけ広い視野で物事を見ていて、それでなく夢に向かい熱血という役を、イヤミなく(←ここが一番大事)丁寧に演じている二宮さん。スクリーンでこんなに映える子だったのですね。一番素晴らしいのは、ラストで漫画を一心不乱に書いている、集中しきったアップ。あの顔が長写しになってるっていう事実がもう、彼の役者としての才能の高さを表してると思います。あの顔はマジで集中しきっている顔です。必見。素晴らしい。
あと、やっぱ特筆すべきは大ちゃん!すでに見た友人から「大ちゃんが全部持っていってた」と聞いてましたが、ほんとに持っていってた。喜怒哀楽、全てをきちんと表現できる以上に、何より難しいと思われる「笑い」を作ってた。立派なコメディリリーフとして大活躍。嵐ファンじゃない人から見たら、主演のニノの次に大ちゃんが一番印象に残ってると思う。だってなんかいちいちヘンでおもしろい。深刻な顔して遺書書いてたくせに、ロバのパンを選んでひとつ掴んで出ていくとか。面白い分、質札のくだりがまた痛いんだけどね。あれ、結婚の話がなかったら、もっとストレートでわかりやすかったと思うんだけど……まあいいか。手紙で全てチャラです。
相葉たんは愛すべきバカ、そのもので素晴らしかったです。最後のオチ、相葉ちゃんじゃないと成り立たないものなあ。思わず笑ってしまってから気づかされる残酷さ。しみじみとした寂しさ。けど、悲壮感はなく。鐘いっこで夢も才能も恋心も全て否定されても、人間は元気で生きていけるものなのです。その「安心感」が相葉ちゃんクオリティ。
翔ちゃんは関西弁でずいぶん損してる。関西人だから気になるんだろうけど。体型がえらくがっちりしてるのは、きっとデカダンに憧れているからだと理解しておきます。私の中でデカダン派ってのは(1)ガリで洋風、か(2)マッチョで和風、のイメージなんですけど。見ようによっては、鍛えた肉体とも見えない事もない。あの首の太さは。まあ、あくまで私見。すごくたたずまいとか汚れっぷりとか仕草とか鷹揚さとかよかったんだけどなー関西弁……(まだ言うか)。
松潤はゲスト出演だったんですね、知りませんでした(嘘)。無理矢理出さなくても、他の人でよかったんじゃないいかな……。出てくるたびに毎回若干びっくりする(笑)。テレビ局が作った映画にありがちな「あの人もこの人もみーんな友情出演です★」てなノリで出てくるあまたの芸人さんの姿に、そこだけバラエティ画面になる時みたいに、松様が映るたびにそこだけ「松本潤さまのおなーりー」になるのがちょっと気になるけど、それでも、松潤自身が持ってる「他から少し引いたスタンス」ていうのが役にはよく合ってたからいいかなーと(偉そうに言ってみた)。一番現実派で一番オトナで、唯一の社会人で、だからこそあのウルトラC的なオチに、納得出来たんですけどね(一緒に行ってた友人はすごくこの点に納得いってなかったようだったので、この場を借りて改めて私の解釈を説明しておこう。多分ふたりの共通の話題は映画だよ、こむさん)。
あとやっぱ女の子はかわいーし、シップのマスターが最高にいい。あの見守ってる感が居心地いい。ただ飯食いのろくでなし青年達なのに、ちゃんと名前で呼んでたりしてくれているのもいい。このマスターの視線が優しいから、映画自体の雰囲気全体も、柔くて優しいものになっています。素敵だー。



総括。あの季節は二度と手に入らない。けれども、だから美しい。
もう一回見に行こうっと。うちのおかんが見たがってるんだけど(大野くんフリークだから)、彼女はこのタイプの映画では絶対寝る人なので悩むところです。寝られたら好きなぶん、腹立つだろうしなー。以前「ワンダフルライフ」で隣りで寝られて大激怒した事あるからな(笑)。

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