没後120年ゴッホ展 こうして私はゴッホになった(新国立美術館)

3日間、おいしいもの食べて食べてとしていて、すっかり東京満喫してきました。幸せ。

桃ちゃんたちのイベントも想像以上に楽しかったので、本当によき3日間でございました。あー、幸せだった。桃ちゃんもみんなも相変わらずがわーてかわゆーて幸せでした!!!

4枚目のアルバムは、正直言うてよくわからん…というのが本音ですけど(笑)。ギターが大変エモかったような雰囲気。まっつんすごいなあ!って。だからきっと、ライブで見るともっと映える曲なんだとオモ。だから早くライブで聴かせてほしいっす。自分的には4枚目はともかく、3枚目が非常にお気に入りになりそうなので大変大変、楽しみなのです。え、もう明日か。フラゲしてこなければ。

結局、どうなんやろどうなんやろと一緒に出かけたおもちちゃんと話してたんだけど、本当、毎度そうなんだけど、結局ライブが終わったら「うは!ヨカタ!ダイスキwwwww」になるんだから、まったくもって単純です。今回も、アコースティックライブ(アコースティックというか、小編成のお座りライブというか)で「孤独の太陽」を聴いた瞬間に「もう大好きなんだけど!」とダイレクトに胸にくるものだから、自分でも笑ってしまう。いい歌を、いい声を、定期的に聞かせていただけますように。そして孤独の太陽はやはりエースの曲だといつも思う。馬鹿です。

あ、1月に全国7か所ツアーあり。え、え、え。大阪ともう一か所行きたいかも。どうして金沢とかでしてくんないのかな…新幹線通るまで無理なのか?!




そして今日は久方ぶりの国立新美術館で「ゴッホ展」見てきました。ポスター見かけて、行こうかって。
これも行ってよかったー。全体的に、ゴッホの画家としての成長・成熟を年代順に追ってみせる構成になっていたのですが、この構成がすっごよくって!若いころの生真面目で若々しい筆遣いの作品から、徐々に「ああゴッホだ」と言われるあの色がうねっている画になっていく、その過程が非常に生々しかったです。様々な画家や技法を学ぶ中から、今の「ゴッホだね」としか言いようがないあの筆致と色使いが生まれるワクワク感。大きな美術館でバーンとゴッホの名作を拝見するのも感動するけど、いい企画展はまた違う魅力がありました。おもしろい。初発見。

自分的に一番ガツンと来たのは、ゴッホの晩年の作品群。有名な耳切り事件でゴーギャンが離れ、病院に自ら入った時に描いたものから始まるその作品達。その閉ざされた空間の中で、自分の「理性」が擦り切れ減っていくのを感じつつ、それでも描きたい、描かねばという気持ちにせっつかれるようにして書いていたんじゃないかと思わせるような作品ばかりで、なんつかもう感情が研ぎ澄まされた先の「結晶」でした。うねりのひとつひとつに感情が練り込まれ、キラキラしてんの。病院の庭を書いた、多分本物以上に美しいだろうその風景。青紫色の花の、たおやかでのびのびした生命感。見た瞬間、胸が痛くなっちゃってぐってきて、涙ぐんでた。「絵」であんなにぐっときたのはそうない経験。自分でもびっくりした。MoMAで見てその澄んだ美しさに静々と感動した「星月夜」も1889年の作品だから、分類的にはこの時代の作品になるようです。

途中でね、弟あてに病院から書いた手紙なのかな、その内容が紹介されているのですが、その文章がもうものすごく詩的で、このまま曲に乗せたらそのまま作品になるんじゃないかっていう。感情の吐露があって、またその気持ちが非常に現代的なんですよ。思わず全文書き写してきたっちゅーに。

以下、自分のメモとしても引用させていただきます。



■弟テオに当てた手紙(抜粋)

僕といえば、僕の我慢は限界、もう限界なのだ、弟よ。
どうすることもできないんだ。例え一時しのぎだろうと僕は移動しなければならない。

(中略)

仕事の方はうまくいっている。
公園のみずみずしい草むらを2枚のキャンパスに描いたところだ。

(中略)

僕は何も考えずに仕事に没頭しようと思う。
今までみたいに考えたり、後悔ばかりするのはもうやめだ。

■□■□■
(引用終わり)


で、この手紙の隣に飾られているのが、たぶんこの手紙の中に出てきている草原の絵で、もうもっのすごい光がいっぱいな、金色した絵なのですよ!これ、絶対泣かそうとしてるだろ……(涙)。ムダwに感情移入しすぎて、金色のその風景に「・・・うわあ!」って声が出そうになった。ちなみにゴッホはその絵を描いた年にピストルで自殺します。うーん、ゴッホの伝記をちゃんと読み直したい。




あと、私とおもちちゃんの興味関心を引いたのは、「ゴーギャンの椅子」っていう作品でした。一目見たときから「……絶対ゴッホゴーギャンのこと好きやったやろ…」と胸の中で突っ込みを入れていたのですが、おもちちゃんも賛同してくれてよかったww おもちちゃん曰く「あの椅子の上のろうそくのような存在やったんやで、ゴッホにとってゴーギャンは」。うわ、その通りかも。絵はこちらです。生で見た方が、数百倍感情的な絵だと思います。
→この絵については、ざっと調べてみただけでも相当面白い話がどんどん出てきました。話ふくらむわー(笑)。
→つか、ここにあるwiki抜粋のゴッホの生涯が悲惨すぎて感想が生まれない……。

ゴーギャンに助言されて「そこに対象はいないのだけど、対象に関連したものを描くことで、その対象の姿を浮かび上がらせる」という新しい在り方の肖像画を試みよう、ということでゴーギャンは現れない、ゴーギャンの持ち物である椅子を描いた、ゴーギャン肖像画であるらしいのですが、なんつか……ゴーギャンがどうというより、ゴーギャンへの愛がダダ漏れです、ゴッホさん。私がゴーギャンならゴッホを抱くか、距離を置くわ(そして実際に距離を置かれ、心が離れた二人。これなんてメロドラマ)。」

ま、椅子に関する話は勝手な妄想なんでどうでもいいんですが、ゴッホゴーギャンにこだわっていたのは本当みたいだしで、ここらへんを上手に解説してくれている小説などないかなーと。ご存じの方はぜひ教えてください。ゴッホの弟・テオの立ち位置なんかもからめて説明してくれると嬉しいっす(注文の多い美術館)!


うお、桃ちゃんたちの感想よりうっかりゴッホの感想の方が多いだなんて(笑)。